いつまでもあたたかいまま
曲馬団のテントを出ると、外は凍えるような寒さだった。
思わず身震いをしてしまった私は、口元に手を当てて息を吹きかけて手先をあたためる。
辺りは真っ暗で人の気配はなく静かだ。
(はあ、今日も1日疲れたなぁ…)
刺青人皮を盗んだ長吉くんを鯉登少尉が追いかけたのをきっかけにヤマダ曲馬団と出会ったのは3日前のこと。
月島軍曹・谷垣さんとともに踊り子として出演することになってしまった私は、今日もスパルタにはじまりスパルタに終わったフミエ先生の稽古を思い出してはため息をつき、くたくたの身体を静かに休めようと、1人テントの外に無造作に置かれた木箱の上に座る。
テントの中からは先遣隊一行と一座の面々が楽しそうに会話する声が聞こえている。
さすが、みなさん軍人さん(杉元さんは正確には”元”だけど)なだけあって、あんなに1日中練習してたのに、まだまだ元気みたいだ。
気を遣う場に1日いるのは気力的にも体力的にももたない。
日頃の自分の運動不足を嘆きながら再度ため息をつくと、吐いた白い息は冷たい濃紺の夜空に溶けて消えていった。
「おい、こんなところで何をしている」
「げっ!」
今、1番見つかりたくない人に見つかってしまったかもしれない。
「げ!とはなんだ! げ!とは! 妙齢の女性が使っていい言葉ではないぞ」
「す、すみません。あまりにも突然だったのでびっくりして。それより、鯉登少尉こそどうしてこんなところへ? みなさん、中でまだ談笑していますよ」
「だからだ。集団行動の中で輪を乱すな、まったく…」
いやいや、みんなが大泊でアシリパさんの情報を聞き込みしていた時に、のんきにフレップワインを楽しんでいたこの人に集団行動云々言われたくない。
ただ、この人の言葉にはまったく悪気など含まれていないことを重々承知している私は、言い返した瞬間に口論に発展しかねない不用意な言葉は避けようと、ぐっと堪える。
それと同じくして、鯉登少尉も鯉登少尉で何か言いたげな顔をしており、ずっと口に出せずにもごもごしている。彼のこんな姿は初めて見た。
めずらしい姿の彼をしばらくまじまじと見ていると、ようやく鯉登少尉は自分の足元を見ながらぼそっと呟く。
「…その、なんだ。悩みがあるなら私が聞こう」
「え?」
彼の言葉とは思えず、私は驚いて彼の顔を見上げた瞬間、彼と目線がかち合う。
テントから煌々と漏れるあたたかみのある光が、彼の顔を優しく照らしていた。
「昨夜もしばらくここに1人でいただろう」
「…知ってたんですか」
「あぁ、お前のことは鶴見中尉から託されている。その動向を見張るのは当然だ」
彼に見つかりたくなかったのはそれも1つの理由なのだけど…。
24時間監視されることにも、慣れない土地で慣れないことに挑戦することにも疲れてしまった私は、せめて1日の中で1人でゆっくりする時間を設けたかった。そうじゃないと、心が折れてしまいそうだから。
私は寒気を感じて、再び冷たい指先を自分の息であたためる。鯉登少尉は咎めるように目を細くして私の仕草を見ると、がさごそとしだしたと思ったらポンっと私の方へ何かを放ってきた。
「ほら、これでも使え」
そう言って彼が投げてきたのは、手袋。
「いいんですか?」
「風邪でも引かれたらかなわないからな」
俯きがちに話す彼の顔が朱色に染まっているように見えるのはテントの光のせいだろうか。
彼の手袋をゆっくり自分の手に装着すると手袋はぶかぶかで、当たり前ではあるけれど鯉登少尉が立派な男の人であることを実感する。そんな私の気持ちを知ってか知らずか彼は言葉を続けた。
「男所帯の中に女性1人なんだ。不自由なことの1つや2つあってもおかしくない。言ってくれれば善処はしよう」
「いえ、そこまでではないんです。みなさん何かと気を遣ってくださいますし。でも、それが少し窮屈に感じることもあって…。たまに、こうして1人の時間が欲しいなぁ、って」
本音を吐露するとともに気まずさを感じた私は、彼から貸された上等な手袋をいじりながら話す。彼の手袋のおかげで、すっかり私の手はじんわりとあたたまっていた。
「はあ…」
彼はそうため息をついたと思えば、木箱に座る私の隣に座ってくる。わがままを言う私に呆れているのかもしれない。
「仕方ない。女性1人の外出は危険だし、私が連れ添おう。それに…」
彼の言葉が突然途切れたので隣に座る鯉登少尉の方に顔を向けると、彼は遥か上を見つめていた。つられて私も彼と同じく遠くを見上げる。
「わぁ…!」
そこには眼前いっぱいに輝く満天の星空があった。こんなに綺麗な夜空を見たのは初めてだ。
「こんな景色を一緒に見られるのなら、それも悪くない」
そういって笑う彼は、瞬く星の光に照らされ、まぶしく見える。
「…だが、女性が身体を冷やすのは感心しないな。明日、練習の合間に豊原の中心部にある商店を一緒に回ろう。手袋くらい私が買おう」
「フミエ先生に怒られないでしょうか?」
「月島と谷垣に目くらましするように言えば少しの間大丈夫だろう。あとで、こっそり2人には話しておく」
それは、また…。フミエ先生に思いっきり怒られている2人の姿を想像して、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。
「…ありがとうございます」
もう不思議と1人になりたいという気持ちはすっかりなくなっていた。
それどころか、なんとなくまだ彼の手袋を返したくない気がしてしまって、「もう少しだけ」と彼を引き止めて、この素敵な星空を楽しむ。
だんだんと夜が更けるにつれて豊原の夜の冷え込みはいっそう厳しくなるけれど、それでも私の手はいつまでもあたたかいままだった。
END
小ネタ話
1月31日実施分の金カ夢文字書き24時間一本勝負テーマ「手袋」で投稿した鯉登SSでした!
後半は先遣隊一行がテントの陰から2人を微笑ましく見てるといいなぁと思いながら書いていました。「…谷垣」「はい、月島軍曹」「明日、頑張るぞ」「はい(涙目)」なゲンジロちゃんと月島軍曹が見たいと思ったり。
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