君の悪い夢なんて
軍人としての日頃の鍛錬の成果とも言うべきか、ふと近くで音がしたような気がして、深い眠りの中でも鯉登は目を覚ました。日は出ておらず、部屋の中は暗い。どうやらまだ夜明け前のようだ。
「———っ」
また先ほど聞いたような微かな音がする。
予想以上に音の主が近くにいることにはっとした鯉登は、すぐに自らの脇に置いてある軍刀に手を伸ばしたが、その音がナマエのものだと気づき、隣で寝ている彼女の布団に近寄って確認する。
見るとナマエは寝ている様子ではあるものの、その閉じられた目からぽろぽろ涙をこぼしており、鯉登はぎょっとした。
寝ているナマエを起こしてよいものか少しの間迷った鯉登だが、このまま放っておくこともできず、彼女の頭を軽くさするように撫で「ナマエ」と名前を呼ぶ。
するとナマエは目をわずかに開いたかと思うとぼんやりこちらの方を見やり、「音くん……?」と掠れた声で鯉登の名を呼んだ。
「どげんした?うなされちょったぞ。」
鯉登はナマエが泣いている理由がわからず、努めて優しい声で聞く。
「なんか悪い夢を見ちゃって……。」
「悪い夢? どんな夢だ?」
「……。」
鯉登の質問に少し逡巡したナマエだったが、ごまかすように笑って言う。
「ごめんね、起こしちゃって。明日も音くん仕事で早いし早く寝よう?」
聞いても詳しく言わずに再度布団に入るナマエを、鯉登はかえって不審に思った。
ただ、頑固な彼女のことだ、言いたくないことは自分から絶対に話出さないだろう。そう考えた鯉登はナマエが見たという夢の内容を自身の中で推測してみる。
ちらりとナマエの方を伺うと、彼女も再び悪夢を見るのが怖いのかなかなか寝付けないようだ。
(ナマエが泣くほど怖いか辛いことで、おいには言いづらいこと、か——。)
「…もしかして、おいが死んで1人になってしまう夢でも見たんか?」
当たらずとも遠からずではないかと思い、鯉登は口に出す。
その推測は当たっていたようで、ナマエは少しの間を開けて気まずそうに頷く。
いつもよりしおらしいナマエのそんな姿を見て鯉登は思わず笑った。
「なんだ、そんな夢で泣いちょったんか。」
「なんだ、じゃないよ…!私本当に音くんがいなくなっちゃうのが怖くて。」
「すまんすまん。おはんがあんまいにもむぜじゃったから。じゃっどん、そげな風に泣かんでくれ。」
鯉登はナマエのそばに腰をおろし、まだ彼女の目元に残る涙を手で拭った。
「おいは軍人じゃかい、いつでも死ぬ覚悟はできっちょ。じゃっどん、ナマエ1人にはせん。おいに何かあったときはナマエのことを、母上や月島に頼んでる。」
「でも、やっぱり音くんがいなくなっちゃうのは怖いよ…。」
「そげな簡単に死ぬような男じゃなか。そうだな、万が一おいが死んだらナマエのそばにいつでも化けて出てやる。」
「お化けの音くん? 想像がなんだかつかないな…。普段の音くんは、もっと、こう、にぎやかな感じだから。」
「案外、幽霊になってもナマエに気づいてほしくて、騒いでるかもしれんぞ?」
「———っふふ。」
幽霊になっても大声で自分の名前を呼んでいる鯉登を想像して思わず笑みがこぼれたナマエ。
「ようやく笑ろうたな。」
その姿を見て安心した鯉登はニヤリとした顔でナマエの頭を撫でる。
「さぁ、これ以上起きてると、身体にも障るぞ。もう寝よう。」
「音くんも私の布団で寝るの!?」
自分の布団に潜り込んでそのまま寝ようとする鯉登に驚くナマエ。
「ナマエがまた怖い夢見てしまわんよう、そばで寝よう。」
そう言った鯉登は、ぐっと腕に力を込めて彼女を引き寄せる。
鯉登の厚い筋肉がついた硬い腕の中では若干寝苦しいと思いながらも、あたたかさと好きな男に包まれているという安心感から徐々にナマエは眠りについた。
「よくやんせ。」
鯉登は自分の腕の中で眠るナマエに優しく呟く。
自分は軍人である以上、どんなに苦しい戦地でも戦っていかなければいけない。
確実に生きて帰れる保障はないし、それが軍人の本懐だとも思っている。
ただナマエと祝言を挙げて夫婦となった今、彼女と暮らし、彼女を幸せにすることも自らの生き甲斐になった。
生きている間は、この身を賭しても守り抜く。
万が一この身が戦地で朽ち果てようとも、少しでも残りの人生をナマエが幸せに暮らせるようにする。
そのためなら、幽霊なんて信じがたいが、それでも魂だけになってもナマエの元へこよう。
祝言の時に誓った自らの覚悟を再度反芻した鯉登は、自身も深い眠りへとついた——。
END
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