#6 とある雪の日に
兵舎を出ると、外は骨身に染みるほどの寒さで身震いをした。
空気は冷たく、吐いた息は真っ白なまま空気中に消えていく。
いつから積もっているのかもわからない、何度も踏みしめられて固まった雪の上を進めば進むほど、室内で暖まった体温はどんどん奪われ、耐えきれなくなった私は思わず荷物の中から襟巻を取り出して、外套の上から巻き付ける。
兵舎の敷地内には正月休み中だからかほとんど人は歩いておらず、不運にも休み中に当番が回ってきてしまった兵士がまばらに見えるだけだった。
足早に兵舎の門を通り抜けると、衛兵が「お疲れ様でした!」と敬礼し声をかけてくる。
まったく、寒い上に、年始からご苦労なことだ。
「ああ、ご苦労。」
衛兵にそう声をかけると、私は門を出て、ナマエと住んでいる家の方角へと歩を進めた。
町も、軍の敷地内と同じく歩く人はまばらで、明かりの灯った民家からは賑やかな声が聞こえてくる。
さしづめ、正月の折、親戚の家でみんな集まって宴会でもしているのだろう。
本来であれば、自分もナマエとともに、実家のある函館へと帰るはずだったのに…。
(はぁ。新年早々、無駄な会議ばっかいやったな。)
皆が皆そうというわけではないが、上の人間の多くは失敗すれば互いに責任を擦り付け合い、成功すればいかに上手に自分の手柄とするかばかり考えている。
結局、今日の会議も平行線のまま、結論には至らずに終わった。もうこれで何度目だろうか。
年末から続く会議に一向に終わりが見えず、将校に限って年末年始を返上して会議に出席するよう指示が下ったせいで、実家へと帰ろうという計画は水の泡として消えた。
まったく、新年早々に呼び出された結果がこれである。
最近はこんなのばかりで心底辟易してしまうが、この会議の結果次第では何千、いや下手すれば何万という命が失われてしまうということを考えれば、大半は無駄だとわかっている会議でも手を抜くことはできない。
はぁ、とついたため息は相変わらず白く、真っ暗な夜空に溶けて消えていった。
往来の中で自分のため息の先をなんとなく見上げれば、そっと白い粒が舞うように空から降ってくる。
雪だ———。
(何もこげん時に降らんでも良かのに…。)
あいにく今日は傘を持ってきていなかった私は、一旦近くにあった商店の軒先へと入ると、このまま家へと急ぐか、兵舎に一度戻って傘を借りてくるか逡巡する。
家まではまだ距離があるから面倒でも一度兵舎に戻ろうか、そう思い暗い軒先を出ようとしたとき、ふと誰もいない往来を家の方角からこちらへと近づいてくる女子が見えた。この時期は、夜でも微かな月明りを雪が反射するので、うっすらと遠くまで見える。
目をじいっと凝らしてよく見ると、その女子はナマエだった。
「音くん!」
私の名前を白い息を吐き出して呼ぶと、傘を持って襟巻も巻かずににこにこ笑いながら走ってくるナマエ。
おそらく雪が降り始めたのを見て、すぐに迎えに家を出てくれたのだろう。
私も兵舎へ向かおうとしていた身体を翻し、ナマエの方へと進む。
「傘、持ってきたよ!」
そう言って私に傘を差しだしてくるナマエは、鼻の頭を真っ赤にしており、見るからに寒そうだった。
そんな彼女の開いた首元に、自分の襟巻を外して巻き付ける。
冷えて真っ赤な鼻をつまんで「風邪ひくぞ」と優しく諭すように言えば、「えへへ、急いで来たから」と笑う彼女。
ありがたいが、身体が冷えないかが非常に心配である。
傘をナマエの手から取ると、傘をさして彼女にこちらに入るように言った。
寒さと仕事の空虚さだろうか、無性に人肌を求めてしまう。
ナマエはさして気にする様子もなく、一旦自分の傘を閉じると、私の傘の方に入ってきた。
1つの傘に2人で入るのは少し気恥ずかしいが、相変わらず町には人っ子一人歩いてはいない。
「今日も寒いね~!」
そういって自分と肩が触れるか触れないかの至近距離で、手をこすり合わせながら吐息で手を温めているナマエを見ると、今日のつまらない会議のことや、その裏の駆け引きで消耗した自分の心が徐々に癒されていく。
「…っふ、そうだな」
笑顔で話すナマエにつられ、自分も自然と笑顔になる。それと同時に、体温も上がっていくのを感じる。
今後も軍人である以上、嫌気がさしたり、理想と現実の狭間で失望したりすることもあるだろう。
それは避けられない。
—それでも。
あたたかい日常へ戻してくれるナマエがいる限り、私は大丈夫だと心から思える。
もう兵舎を出た時に溜まっていたような心の澱はすっと消えていた。
「ナマエ、」
「ん?」と見上げるその顔のなんと愛らしいことか。
「ありがとう。」
「ふふっ、どういたしまして!」
私を見上げて笑う彼女の顔は、真夏に咲く向日葵のようにあたたかくまぶしく見えた——。
END
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