甘いチヨコレヰトをきみに
令和から突然、明治時代にタイムトリップしてしまって早数か月がたつ。
こちらにきた当初は第七師団に捕らえられて文字通り軟禁状態だった私も、数か月間の鯉登少尉の尽力の甲斐あって、今はこうして彼とともに札幌の街を自由に歩けるくらいには師団からの信頼を得ていた。
歩兵27聯隊のうち鶴見中尉直轄の師団の面々は札幌に集合するように、という指示が下ったのは、一週間ほど前だっただろうか。
私の目付役を任されていた月島軍曹と鯉登少尉も札幌行きが決まり、どういうわけか私まで札幌に同行することになってしまった。おそらく、手薄になる旭川の兵舎に私を残していくよりは、信頼のおける部下と同行させたほうが都合が良いと判断したのだろう。
札幌の兵士たちには私の身分を隠しているようで、こちらに来てからは月島軍曹か鯉登少尉のどちらかが一緒に付き添ってさえいれば、わりかし私の自由は担保されていた。
それにしても、真冬の北海道はどこに行っても寒い。
旭川から見て南に位置するこの札幌の街は、きっとさぞかし旭川よりもあたたかいのだろうと夢見ていた私の考えは甘かったようだ。
寒さはそこまで変わらず旭川に負けないくらい雪もたくさん積もっていて、雪の上を歩くことにいまだになれない私は、足元に気を付けながらゆっくりと進む。
たしか、歩幅をできるかぎり狭くして速足で歩いた方が滑らないんだよね…。
令和にいた頃に見たネット記事に書いてあったことを思い出しつつ、雪国出身でもない私は滑って転ぶ恐怖心にはどうしても打ち勝てなくて、相変わらずのろのろとした足取りで生まれたての小鹿のように歩く。
そんな私を気遣ってくれているのか、鯉登少尉は先ほどから時折私の足元をチラチラと気にしながら、歩幅を合わせて歩いてくれていた。
ここ札幌と旭川で違うのは、なんといっても街の賑わいだ。
何度か旭川の街も鯉登少尉や月島軍曹の見張りのもと見て回ったことはあるけれど、札幌は北海道における経済の中心地なだけあって、商店の数は旭川と比べてけた違いに多いし、最近できたという百貨店まである。
そして、その商店や百貨店へと続く広くて大きな通りは、たくさんの人の往来で賑わっていた。
私たちはうまいこと人を避けつつ雪で転ばないように慎重に進みながら、今日の目的地である百貨店へと向かう。百貨店に近づけば近づくほど人通りは多くなって、並んで歩いていた私たちは仕方なく縦一列になって向かう。
前を進む鯉登少尉はこの人混みの中ちゃんと私がついてきているか、相変わらず後ろを心配そうな表情で振り向いては確認してくれる。札幌に関する土地勘がまったくない私も、彼を見失ってはまずいと速足で彼のあとを追った———。
しばらく転ばないように足元に集中しながら歩くと、急に先を歩く彼の歩みが止まった。
気づけば、すぐ眼前には大きな建物。一目見ただけで、ようやく今日の目的地に到着したとわかる。
その派手な外装は、令和の時代のデパートの雰囲気を既に纏っていて、建物を見上げる私は明治時代にこんなに立派な建物が建造できるなんて昔の人はすごいな、なんて月並みな感想ばかり思い浮かんでしまう。
外装に見入ってぼーっと突っ立っていると、百貨店の豪奢なドアを開けて押さえながら待ってくれている鯉登少尉に、私は数刻遅れて気がつき、小走りで彼が押さえてくれているドアを通り抜けて、百貨店の中へと足を踏み入れる。
「ようやくついたな。まったく、これだけ人が多いとは」
「本当ですね。でも、鯉登少尉は札幌の方にもよくいらっしゃっているとこの前月島軍曹から伺いましたが?」
「札幌にはたまに来るが、中心街にはあまり近寄らん。兵士が街中にいるとなると、群衆が困惑するだろう」
「た、たしかに…」
「それより、早く依頼のものを受け取ってしまおう」
百貨店に入ると、明治時代とは思えないほど立派なその内装に、私は思わず再び足を止めて見入ってしまった。
その間にも鯉登少尉は案内係の女性に紳士服売り場の場所を聞いていたようで、入口で立ち止まっている私に「ほら行くぞ」と声をかけるので、私も急いで彼の背中を追いかける。
足早に通り過ぎた1階には、女性向けの化粧用品やおしゃれな洋服がいくつも飾ってあった。奥にはお菓子の売り場もあるようだ。ほんのりと香ばしくて甘い香りが漂っている。
内装やお店の感じも私が長年過ごしてきた令和のデパートのそれになんとなく近い雰囲気を感じて、私は少し浮ついた気持ちになりながら前を歩く鯉登少尉に話しかける。
「これだけ色んな商品があるとなんだかわくわくしますね!」
「ここには舶来品のようにめずらしい品々もあるようだからな。お前の気持ちも少しはわかる」
「ですよね! 見ているだけで楽しい気持ちになります」
すると突然、先を行く彼の歩調が少し遅くなって、自然と彼との距離が縮まる。
「…それなら、あとで一緒に見て回るか?」
小さく呟く彼の声は、かろうじて私の耳まで届いた。
背を向けている彼の顔はよくわからないが、耳がほんのり朱色に染まっているように見えるのは私の気のせいだろうか。
「え、いいんですか⁉」
「あくまでも仕事のついでだからな」
「やったー!」と子どものようにはしゃいで喜ぶ私を、鯉登少尉はようやく振り返ってやれやれ、と苦笑しながら見つめてくる。
「まずは依頼のものを先に受け取りに行くぞ」
「はーい!」
調子のよい私の声を背中で受け止めながら、再び彼は階段を上りだす。
私も軽い足取りで階段を駆け上がった。
階段で5階まで上がると、彼はフロア中央に位置する紳士服売り場まで一直線に進み、慣れたように店員さんに声をかける。
鶴見中尉の名前を出しただけで、店員さんは「わかりました。少々お待ちください」と言って店の裏まで行った数刻後に包装された商品を持ってきた。
何を受け取りに来たのか、詳しいことは私も教えてもらっていないし、鯉登少尉もどこまで知らされているのかはわからないが、今度行われる陸軍のパーティーで鶴見中尉が身に着けるものらしい。鯉登少尉は忙しい鶴見中尉に代わって、その品を受け取りにきたのだ。
既に代金の受け渡しは済んでいるのか、鯉登少尉はその商品を受け取って「ありがとう」と店員さんに言うと、すぐに踵を返してこちらに向かってくる。依頼の品の受け取りはこれで完了みたいだ。
「待たせた。さて、どこを見たいか希望はあるか? 女性向けの品々は1階に多かったように思うが」
「そうですね。私も1階をもう一度ちゃんと見て回りたいです。…鯉登少尉は何か見たいところはないんですか?」
「いや、私はいい。じゃあ、1階までまた下りるか」
男性としては平均以上に身なりに気を遣う鯉登少尉は、上等なものをいつもお召しになっているように見えるけれど、こういうところでは買い物はしないのだろうか。彼のお買い物シーンもそれなりに興味があるので、一度は見てみたい。
「ここからここまで全部くれ」や「私1人でこの店まるごと買ってやってもいい」とかナチュラルに言いだしかねない彼を想像するだけで、私は1人笑いだしてしまいそうになってしまう。
そんなくだらないことを考える私を不思議そうに見た彼は、大して気にとめる風でもなくゆっくりと私が追いつけるスピードで階段を下る。私も追いかけるようにもと来た階段を下って、再び1階へと下りた。
「わぁ!!」
1階についた私は、目の前の可愛らしく装飾されている売り場やそこかしこに置かれている商品の数々を見て、テンションがあがり、思わず声が出てしまう。
心の底からかわいい!と叫びたくなるなんて、明治時代に来てからは初めてだ。
売り場に展示されている衣服は、洋服も和服もどちらも令和にはないレトロなかわいさがあるし、化粧品もプラスチックがまだないこの時代では可愛らしいガラス瓶に1つ1つ詰められていて、そのかわいい見た目に乙女心をくすぐられてしまう。
「そんなに見たかったのか?」
鯉登少尉は夢中で商品に見入る私を呆れるように笑いながら見つめる。
「だって! どれもこれもすごく可愛くて…!」
そんなふうに私が衣服やら装飾品やら化粧品を目をきらきらさせながら見ていると、その後ろで控えるように立っている鯉登少尉にすかさず店員さんが話しかけてきた。
「あら、奥様へのプレゼントでしょうか?」
「えっ⁉ お、奥様なんてっ/// ちが「そうなんだ。ゆっくり見させてもらう」
「ふふっ。素敵な旦那様ね! どうぞごゆっくり」
店員さんは微笑ましく私たちの顔を見やると、そっと距離をとって後ろへと下がっていった。
「ちょ、ちょっと鯉登少尉、」
「前にも言ったと思うが、この時代はお前の時代と違って結婚する前の男女が外で逢瀬しているなんて不貞行為の1つなんだぞ。ここで否定をしたら、あやしまれるだろう」
「でも…」
「…そんなに私と夫婦に間違われることが嫌か」
「いや、そういうわけじゃないんですけど…」
いつも上がり調子のきりっとした眉毛をそんなにしゅんと下げられてしまっては、まるで私が悪いことを言ってしまったみたいだ。
私は居心地の悪さを感じると、話題を切り替えるために、他になにかめずらしいものはないかとあたりを見回す。
すると、令和にいた頃はよく目にしていたはずの私の大好きなお菓子が、ショーケースに入っているのが見えた。
考えるよりも先に商品の元に飛んで行った私は、商品札を見て「やっぱり!」とうれしさのあまり思わず声をあげる。
”チヨコレヰト”。
商品札の文字が目に入ると、ますます嬉しい気持ちになって自然と口角が上がってしまう
そうか、さすが文明開化の明治時代。チョコもこの時代には日本に来ていたんだ。
さらに商品札には、”この時期はバレンタヰンデーと言って、西洋では愛する人にチヨコを渡す風習があるという”と記載されている。
たしかに、今の時期はバレンタインの季節かもしれない。こちらの時代にきてからは、令和の時代のイベントごとなど余裕がなかったし暦も令和とは異なるからあまり気にしていなかったけれど、年が明けて少し経った今の肌感覚での時系列と令和のカレンダーを思い浮かべて重ねて、納得する。
ショーケースの中で照明によって煌々と照らされているチョコは、それ自体はすごく素朴で飾りなどもついていないけれど、心なしか令和のチョコよりもおいしそうに見える。
鯉登少尉がたまに買ってきてくれるお団子もあんみつも大大大好きだけど、たまにはチョコも食べたいなぁ…。
でも、令和であれば自分の給料でチョコくらい差し支えなく買うことができた私だけれど、こちらの通貨を一銭も持っていない今は、買い物の自由は一切ない。そのうえ、この時代のチョコだ。仮に少しばかり通貨を持っていたところで、めずらしいものだし、きっと相当値が張るから手は届かないだろう。
悔しい思いをしながらじいっとショーケースを見つめる私に、鯉登少尉はそっと近づくと不思議そうに後ろから尋ねてきた。
「なんだ。そのチヨコレヰトとは?」
「西洋のお菓子なんです。とろけるような舌ざわりで甘くておいしいんですよ」
「ナマエはそのチヨコとやらがよっぽど好きなのか? ものすごい顔で見ているが」
「実は令和にいた頃の私の大好物なんです。でも、この時代では私なんかには手が届きそうにないですね…」
目の前にあるのに手が届かない、このもどかしさ。
旭川の兵舎に幽閉されていた頃は、自由に外を歩けるだけでも喜んでいた私なのに。
望む環境も物もなにかもかも手に入らないのが、当たり前の感覚だったはずなのに。
ショーケースの前でしょんぼりとする私の姿を見ると、彼はきょろきょろとあたりを見回して、近くにいた店員さんに声をかける。
「すまない、このチヨコとやらを1箱くれ」
「はい、かしこまりました。贈答用でしょうか」
笑顔で近づいてくる店員さんに鯉登少尉はしょぼくれている私の方をチラッと一瞥しながら「あぁ」と返事をする。
彼の仕草を見て店員さんは何かを察したようで、「では、包み紙は可愛らしいものにしないとですね」と笑いながら話す。
どういうことか私が気づいたときには、既に鯉登少尉は店員さんと少し離れた勘定台の方へと移動していて、止めに入ることができなかった。
お金を渡し、店員さんからチョコを受け取った鯉登少尉が私の方へ歩いてくる。
大丈夫だろうか、相当な量のお金を払っていたように思うけれど。
彼は私のところまで来ると、「ほら」とチョコが入った可愛らしい包みを私に差し出した。
「この甘味が食べたかったのだろう」
さも当然、というように自然に歩きながらチョコを差し出してくる彼は、同時に時計で時間を確かめると「そろそろ帰らなければならない時間だな」と百貨店の出入口へと向かう。
「あ、ありがとうございます…」
嬉しいは嬉しいのだけれど、この季節にチョコを渡すということがどういう意味を帯びているか。それを私は知っているだけに、今目の前で百貨店のドアを紳士みたいに開けて待ってくれている彼を見ては恥ずかしくなって、顔に熱が集まる。
子どもっぽいところがあるくせに、たまに意外なところで紳士な面を見せてくるから、なおさら。
既に日が傾きかけているからだろうか。
鯉登少尉と一緒に来たときは往来にたくさんいた人も今はまばらで、2人並んで歩く。
なかなかチョコを受け取らない私の顔を心配そうに覗き込む彼。
「…顔が赤いが、具合でも悪いのか?」
いや、貴方のせいなんですけどね! 肝心なところで鈍感なのも彼らしいと言えば彼らしい。
私は久しぶりの買い物で浮ついた気持ちになっているのだろう。
隣を歩く彼に、不安定な足元を気にするように俯きながら、私はぼそっと呟く。
「そのお菓子、私のいた時代だと恋人に渡すものなんです」
私の言葉を聞いて、彼がどんな反応するのか、今手に持って私に差し出しているチョコをどうするのか、気になって恐る恐る目線を上げて、彼の表情を確かめる。
視線の先には、目を丸くして頬を朱色に染めている彼。
彼は私の方に差し出していた色鮮やかな包みを持った手も引っ込めようとした。
が、途中でその動きは止まった。
その不自然な格好のまま、彼は依然と私の隣で歩幅を合わせながら歩いてくれる。
私たちの間にしばしの沈黙が走り、私は気まずい思いを覚えはじめた。
しまった、囚われの身にある自分が調子に乗りすぎた。
「……あの、今のはわ」
すれてください、そう言おうとした私を、彼の手が制する。
お願いです。大事故になる前に前言撤回させてください…!
自分の軽率さを恥じている私をよそに、彼は決意したようにそっと口を開いた。
「……いや、それならば、なおさらナマエに渡す理由になる。取り消す気はない」
……。
えっ…。
今聞いた言葉は聞き間違い、だろうか?
どうやら私の聞き間違いじゃないみたいだ。
その証拠に、彼はさっき一度引っ込めようとしていたチョコを、再度私の方に差し出している。
そして視線の先には、今までに見たことのないくらい真剣なまなざしで私を見つめる彼。
その真っすぐな瞳を見ると私も目が離せなくなってしまい、鼓動が徐々に早まる。
あぁ、そっか…。
お団子やあんみつだけじゃもの足りなくなってしまうのも、簡単に手に入れられないもどかしさを感じてしまうのも、ぜんぶ彼がいてくれたおかげなんだ。
彼は出会った当初から私を未来から来た異端人としてではなく、1人の人間として扱ってくれる。真っすぐに向き合ってくれる。
鯉登少尉と一緒にいると私はどんどん令和にいた頃と同じような感覚に戻って、わがままになってしまう。
いまだって、そうだ。
甘い甘いチョコだけじゃなくて、彼の気持ちまで期待して、欲してしまう自分がいる。
こんなにも、心が動かされる。
私は今度はきちんと「ありがとうございます」とお礼を言うと、彼から可愛らしい包みに入ったチョコをそっと受け取る。落とさないように、優しく、大事に。
「何かの間違いじゃないでしょうか?」
「間違いじゃない。渡したかった気持ちは事実だ。これから先も揺らぐことはない」
射貫くように真っすぐな眼差しを向けられながら、私はカサコソと包みを開ける。
中に入っていた小さなチョコは全部で6つ。
私は1粒自分の口の中に大事そうに放り込むと、少し背の高い彼の口にも背伸びして1粒そっと含ませた。
彼は一瞬驚いた表情をしたけれど、すぐに表情を戻す。
「……甘いな」
「ふふっ、ですね。」
突然放り込まれたのにも関わらず、特に抵抗する様子もなく異国の甘味を神妙な顔つきで味わう彼が愛おしく感じられて、私は思わず微笑んで彼の方を見上げた。
そんな私の視線に、彼も気が付くと同じように微笑みかけてくれる。
「…今度は仕事ではなくて、非番の日に一緒に行くか」
「えへへ、楽しみです」
彼からもらったチョコは、何の飾りもついていないシンプルなチョコなのに、なぜか令和のチョコよりもずっとずっと甘く感じた。
彼と2人並んで食べるチョコの味を、私はこの先も一生忘れることはないのだろう。
END
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