I’ll pick you up and ask you to marry me
「では、本日のブリーフィングは以上とします。あと、最後に1点事務連絡があります。ミョウジさん、いいかしら?」
「はい。以前からお伝えしていたとおり本日のシフトをもって、新千歳空港へ異動となります。皆さん、今までありがとうございました」
深々とお辞儀するナマエを見つめながら拍手を送っていると、一瞬だけ彼女と目が合った。
周りが拍手をする中、彼女は気まずそうに私の方から目を逸らす。この数日間、仕事が忙しくて彼女とまともに話せていなかった私には、彼女のその反応は至極当然のように思われた。
「ミョウジさん、向こうでも頑張ってね。では、本日もよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
チーフの言葉を合図に、スタッフは今日の持ち場へと向かって散り散りになる。
私は去り行くナマエの背中へ声をかけようと口を開いた。——が、
「お、「ナマエちゃーん! あっちでも頑張ってね、みんなで遊びに行くから!」
彼女と仲の良い同僚の声に私の声はかき消されてしまい、私は口をつぐむ。
(何も今急いで話す必要はないか。仕事終わりに食事にでも誘って話せばいい)
私はそう考え直し、同僚と仲良く話しながら搭乗口へ向かうナマエの背中を見送った。
◇
ナマエの異動が決まったのは、私たちが付き合い始めてから1年も経たない頃だった。
将来を誓い合った上で彼女を引き止めるにはまだ己の意志が固まりきらず、かといって彼女への想いを潔く断ち切ることができないまま、思い切ったアクションが取れず今日まできてしまった。
ここ数日、悩みに悩んだ末に、ようやく固まった己の意志を今日こそは彼女に伝えるのだ。
迎えに行く、と。愛している、と。
私はいつもより長く感じる退勤までの時間、何度も家で練習してきたそれらの言葉を頭の中で繰り返し唱える。
良かった、何事もなく定時で終わりそうだ。
今日はナマエをどこの店に連れて行こうかなどと考え、私が完全に油断しきっていたタイミングで突然、耳元のインカムが鳴る。
「月島より、オール。新千歳行き000便、あと5分でカットですが現時点で未通過あり。アナウンスお願いします」
月島からの音声を頼りに、大急ぎで端末からまだ保安検査を済ませていない乗客のリストを出す。いったい、こんな大事な時に遅れてくるなんてどこの無礼者だ。私は少し苛つきながら端末の画面で、未通過者の名前を見る。
……そんな馬鹿な。
何かの間違いではないだろうか。
状況が把握できず私の手は止まる。
隣にいるスタッフがそんな私の方を不審そうに見て、少し焦った様子で声をかけてきた。
「鯉登さん、早く最終案内(ファイナルコール)お願いします」
「あ、あぁ……」
私は震える手でマイクを持つと、これまでに何度もしてきた最終案内と同じように、努めて事務的に、冷静に、アナウンスする。
「17時ちょうど発、新千歳空港行き、最終案内のお知らせです。次の方は急いでお近くの空港スタッフにお声がけください」
私は一拍置いて、ゆっくりとはっきりとその名前を呼んだ。
「———ミョウジ ナマエ様」
何度も呼んだその名前、何度もしてきた最終案内だというのに、私の声はわずかに揺れ、掠れる。人が忙しなく行き交う空港の雑音の中で、私のアナウンスだけがやけに大きく響いているような気がした。
「鯉登さん、ちょっとどこへ行くの?」
最終案内を終えた私の脚は、気づいたときには自然と職員エリアにいるだろう彼女の元へと駆け出していた。
はぁっ、はぁっ———
職員エリアまで向かおうと出発ロビーに溢れかえるほどいる人を上手く避けながら進む。
運よく出発ロビーの真ん中で、私服に着替えた彼女の背中を見つけた私は彼女の元へ駆け寄った。息を切らしながら近づく私に気づいた彼女も、目を丸くしながら私の方へ振り返る。
「鯉登くん……!」
その丸い瞳が少し滲んでいるように見えるのは私の気のせいだろうか。
まさか今日、北海道に飛ぶなんて聞いてないぞ。なぜ、そんな大事なことを黙ってたんだ。
私は山ほどある言いたいことをぐっと飲み込むと、そっと彼女が握りしめている小さなスーツケースを手に取る。
「お預かりします。チェックイン手続きは既に済んでおりますので、こちらから保安検査場を通過してください」
ぽかんと口を開けたナマエが自分の後をついてきていることを確認しながら、私は保安検査場のスタッフに優先的に彼女を通すように言う。
手元の時計を気にしながら、彼女のスーツケースを持って一緒に搭乗口へと走った。
なんとか無事に時間内に搭乗口までたどり着いた私は、抱えていたナマエのスーツケースを彼女に差し出す。
……早く言わなければ。あれだけ練習してきたんだ。
場所もタイミングも予定とは大きく異なってしまったが、ここで言わなければ私たちの関係は終わってしまう、そう思った。
私はスーツケースを受け取ろうと伸ばしたナマエの腕を自分の方へ勢いよく引くと、周りに聞こえないよう彼女の耳元で小さく言う。
「愛している。必ず迎えに行くから向こうで待っていてくれ」
たったそれだけ。今日はこれが自分の精一杯だ。
そっと彼女の手にスーツケースを持たせた私は、搭乗口の方へと彼女の小さな背中を軽く押す。彼女はコートの袖で目を擦りながら、私の方を振り返ると小さく頷いた。
その愛しい背中が搭乗口に消えていくのを見送りながら私は心の中でそっと呟く。
I’ll pick you up and ask you to marry me.(迎えに行って私と結婚してくださいと言うよ)
END
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