第4話 見つかって知らんぷりできなくて
あんなことがあったにも関わらず、最近SNSで話題のショッピングモールへ休日に1人買い物に出かけられているのは、鯉登くんのおかげと言う以外の何ものでもない。
結局あの夜は私の心の余裕がなくて、鯉登くんとはほとんど会話を交わさないまま、家まで歩いて彼に送ってもらった。横目で見た限りでは、彼の方も探り探りの様子だったように思う。
部屋まで送ってくれた彼に「ありがとう」とだけ言ってそっと部屋の扉を閉めると、「チェーンまでかけろ」とすかさず外から声がとんできたので、彼の言うとおり鍵を閉めたあとに、普段は滅多に使うことのないチェーンをかけた。
鯉登くんは私がチェーンをかけた音を確認すると、ようやく帰っていった。
遠ざかる彼の足音を聞きながら、私は玄関に力なく座り込む。
あの時1人だったら——。
そう思うと、とてつもなく怖い気持ちになった。
日頃の部活動のことといい、鯉登くんにはいくら感謝してもしきれない。
その翌日は学校へ行こうか休みをとろうか悩んだものの、立ち上げたばかりの剣道部のことや近づいてきている定期テストのこともあって、私はいつもどおり出勤することにした。
学校へ行って生徒たちと何気ない会話をしているうちに、鬱屈としていた気持ちも徐々に快方へと向かう。それでも、帰りは暗い夜道を1人で歩くということに思いを巡らすと恐怖心は大きくなっていった。
そんな私の気持ちを先読みしたのか、部活を終えて職員室まで連絡しに来た鯉登くんは、「仕事が終わるまで待っている」と遠慮する様子もなく前山先生の席に座り、その言葉どおり私の仕事が終わるまでずっと待っていた。
前山先生は鯉登くんに席を奪われると、毎回なぜか嬉しそうな顔をして帰っていく。残業しなくていい口実、見ぃつけた☆ とでも思っているのだろうか。
さすがの私も、隣に座る彼から監視されている状況で連日深夜まで残業するのは気が引ける。結局、部活動も授業も休みのこの土日が来るまで、残業をほとんどしていなかった。いや、できなかったという方が正しい。
残業が続いた週末は、眠気がとまらなくて1日眠り込んでしまうこともざらにあるのだけれど、今週は体力が有り余っている。
有り余った体力の使い道に悩んだ私は、気晴らしにでもなればいいな、と少し家からも学校からも離れたこのショッピングモールに行くことにした。
残業をしていない上に帰りは毎日彼の車で送ってもらっているから、単純に体力、気力ともにゲージがすり減ることがないのだ。
ありがたいことだけれど、鯉登くんはなぜこうも私に優しくしてくれるのだろうか。
谷垣先生の言う『悪い人じゃないから』の範囲はもうとっくのとうに超えている気がする。
彼と出会ってから怒涛のように過ぎていったここ数日間の出来事を思い出しながら、私は3階のファッションフロアを見て回った。
まだ長袖に頼る日も多い季節だが、店頭には来る真夏に向けて露出度の高い服を着たマネキンがずらーっと並んでいる。
そろそろ夏服も買い足さないとなぁ……。
生徒と他の先生に見られるだけであれば、そこまでファッションにも気を遣わずに済んだのだけれど、いかんせん今はほぼ毎日という頻度で鯉登くんに会う。
なんとなく、きちんと毎日おしゃれなスーツを着こなしている彼の隣を、今の拙いローテーションで着まわしている服たちで歩くのは少しきつく感じてきたところだ。
こういう服、鯉登くんは好きかな……。
ショーケースの中で自分のそれとは遠くかけ離れたモデル体型のマネキンが着ている洋服を見て、私は自然と鯉登くんの顔を思い浮かべてしまう。
…って何を考えてるんだ自分は。
彼とはあくまで顧問とコーチの関係。職場内恋愛なんてやめたほうがいい。付き合うにしろ別れるにしろ色々気まずい思いをすることになる。
私は頭に浮かんでは消えない鯉登くんの面影を振り払うように頭をぶんぶんと振りながら、お店からお店へとフロアを歩いた。不審者もいいところである。
そんなこんなでフロアをちょうど一周回りきった私は、次は上の階でも行ってみようかとエレベーターがあるフロアの奥まで向かう。
その時だった。
前方にあるエレベーター前の休憩スペースの一角に、先ほどまでさんざん頭の中で思い描いていた彼らしき人物が立っているのを見つけて、自然と私の足は止まった。自分の鼓動が早くなっていくのを感じる。
あのスマートな出で立ちに、周囲の女性が思わず二度見するほどのイケメン。
——間違いない、鯉登くんだ。
土曜の今日はお仕事も休みなのだろうか。いつものスーツ姿ではなく、私服を着ている。
カジュアル寄りだけれど決してカジュアルすぎない彼の私服姿を見て、かっこいいなぁと私は見惚れてしまう。
でも、レディースファッションのこのフロアになぜ鯉登くんがいるのだろうか。彼はしきりに腕時計で時間を確認していて、誰かと待ち合わせしているように見える。
そう、私はこの時感じた違和感に従って、黙って回れ右をすればよかったのだ。そう後から後悔することになるのを、この時の私はまだ知らない。
どうしよう、話しかけてもいいのだろうか…?
仕事中ならいざ知らず、今はお互いプライベートだ。干渉しすぎてしまうのは……。
でも、いつも帰りを彼に送ってもらっているあの時間も、本来プライベートと言えばプライベートの時間だし。
ええい、無視するくらいだったら話しかけてしまえ!
プライベートに話しかけられて嫌な思いする相手を、毎日家まで送る人間なんて滅多にいないだろう。彼から連絡先をもらっている仲といえば仲なんだし。
それに、この商業施設は学校から結構離れていて生徒に見られる心配もない。
休日で気が大きくなっているのだろう。私は大きく一歩を踏み出し「鯉登くん!」と声をかけようとした。
だが、私の口は”こ”いとくんの”こ”の字だけ発音すると、一切動かなくなってしまった。
それは——、
「音くん!」
可愛らしい服装をした女の子が彼の名前を呼び、軽い足取りで近づいていくのが見えたから。
”音くん”———
親しげに彼の名前を呼んだその子は綺麗なネイルに明るい髪色をしていて、どこを切り取っても可愛い女の子だった。
人好きのしそうな笑顔で鯉登くんの腕を掴む彼女とは反対に、先ほどまで上がりっぱなしだった自分の口角がどんどんと下がっていくのを感じる。
鯉登くんも笑顔で彼女を迎え入れる。モデルのような2人が並んでいると、それはそれは絵画のように美しく見えた。
見ちゃだめだ。早くここから去らないと。
そう思うのに、私の足はその場で釘にでも打たれたかのように全く動かず、視線は自然と2人の姿を追ってしまう。
鯉登くんとその女の子は親しげに数往復言葉を交わすと、2人してエレベーターに乗って消えていった。
フロアに残された私は1人、その場に立ち尽くす。
なんだ…、いるんじゃん。そういう関係の子。
いや、勘違いしていたのは私の方だ。あんなイケメンに彼女がいないという方が無理がある。
教師という職業ゆえに、ネイルもできなければ派手な髪色にも染められない。顔もスタイルもいたって平凡な自分なんかに手が届くような人じゃないのだ、鯉登くんは。
今まで蓋をして見て見ぬふりを決め込んでいたけれど、心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになって、ようやく私は自分の中でどうしようもなく大きくなってしまった気持ちを認めざるを得なくなる。
——あぁ、そっか。私、鯉登くんに恋、してたんだ。
先ほどまであれだけ浮かれていた私の気持ちは今やすっかり意気消沈していた。
服を見る気分でもなくなり、これ以上2人の姿を見たくない私は、とぼとぼと何も買わずにショッピングモールを後にして、家まで真っすぐ帰る。
心にもやもやとした澱が溜まっていく。身体には力が入らなくて、全てがどうでもいいように感じてしまう。
こんな気持ちは初めてだった。