あの頃の、そう、明治時代の宇佐美さんは、私の許嫁だった。
たしか第七師団に所属していた私の父からの紹介で、彼と知り合ったはずだ。
結婚に前向きではなかった彼は、出会った当初あまり優しいとは言えなかったが、何度か会って話すうちに、徐々に打ち解けられてきていた、と思う。
時には父の勧めで一緒に旅行にも行ったし、外出先で身体を重ねることも数回あった。
祝言を挙げるのも間近で、当時流行っていた西洋風の建物で披露宴を挙げようという話までしていたように思う。
なんだかんだで面倒見の良い彼は、荷物を持ってくれたり、着物などを仕立ててくれたり、甲斐甲斐しい一面もあって、そんな新たな一面を知るたびに私もどんどん彼に惹かれていった。
「いいです、いいです!荷物くらい自分で持ち上げるので!」
「僕としては荷物持ってちんたらされる方が嫌なんだけど。」
2人で列車で旅行に行った時のことだ。
彼は呆れながらそういうと、先ほどの飛行機の中でスーツケースを持ってくれたみたいに、ひょいっと私の手から旅行鞄を奪い取って、列車の上の荷台に載せてくれたんだっけ…。
彼の言葉は時に厳しかったけれど、2人の間には確かに愛があったように思う。
だが、彼はあくまで軍人さん。
上官である鶴見中尉のために手となり足となることが、彼の使命であり本望でもあった。
「君のことも大事だけど、僕にとっての1番は篤四郎さんだから。」
彼とともにいるときに、たびたび言い聞かされたことだ。
そして、その言葉どおり、彼と許嫁になって約1年後の祝言を間近に控えた頃、私は彼が札幌への長期任務の途中に、この世を去ったことを知らされた。
彼の死について軍からはあまり情報をもらえなかったが、父の話では任務を遂行する中での尊い最期だったと聞く。
あまりの突然の知らせに私はしばらく放心状態で、食べ物も喉を通らなかった。
いつもどおりの任務だ、って、すぐに帰ってくるよ、って、言っていたのに…。
一緒に披露宴の場所だって下見に行ったのに。そこで着る予定だった礼服だって高い高いって言いながら買ったのに…。
私は文字通り涙が枯れるまで泣いた。
幸いにも彼の亡骸は旭川まで運ばれたため、その姿を見て私はようやく彼の死を受け入れることができた。いや、受け入れるしかなかった、という方が正しい。
そして、その数年後、行き遅れと言われながらも、父の紹介で私は別の男性と祝言をあげた。
夫は宇佐美さんとは違って、いつもにこにこ笑う穏やかな良い人だったけれど、若いときの恋愛ほど忘れがたいものはない。
特にそれが死別という形で突然終わりを告げたのであればなおさらだ。
私は生涯、宇佐美さんとの日々を思い返せば思い返すほど、なぜ私は札幌へと向かう彼を止めなかったのか、そしてなぜ普段もっと大事な気持ちを伝えなかったのか、後悔の念に苛まれながら、その後の人生を送ったのだった—。