翌朝——、
昨日約束した時刻にホテルの目の前にあるロータリーに到着すると、昨日と同じ車が止まっていた。
車内に目を凝らし、運転席に彼の姿を確認すると、目が合った彼がひらりとこちらへ手を振ってくれる。
なんだか完全に観光に付き合ってくれる彼に申し訳ない気持ちで、遠慮がちに助手席に乗り込むと、彼は「おはよ。」と優しく挨拶した。
「おはようございます。すみません、迷惑かけちゃって。」
「いいよ、別に。僕が好きでやってることだから。」
彼はシートベルトを着けると、ギアを入れ替えてサイドブレーキを下ろし、ゆっくりと車を発進させる。
「今日は神社と記念館行ってからお昼食べて美術館に行くで良いんだよね?」
「はい、そうです。」
「なかなか渋いチョイスだよね。普通、旭川きたらみんな旭山動物園行くのに。」
「いかんせん、1人旅なので…。」
「勝手に僕もついてきたから、1人旅じゃなくなってるけどね(笑)」
宇佐美さんが程よく話を振ってくれるおかげで、道中の車内はそこそこ盛り上がる。
「昨日も思ったけど、ここに一人で来るなんてなかなか怖いもの知らずだよね、君って。」
あっ、と私は声が出そうになるところを、すんでのところで抑え込む。
同じような言葉を前世の彼にも言われたことがあった。
あれはたしか、一緒に宇佐美さんと住み始めてすぐの頃、同僚の家に行くと言って出ていったっきり、彼が深夜になっても家に帰ってこないから心配になって、その同僚の方のお家へ迎えに行ったのだ。
寒いし、外は真っ暗で怖いしで、迎えに行ったくせに半泣き状態だった私に、彼がまさに同じ台詞を優しく笑いながら言っていたのを思い出す。
結局、飲みすぎた同僚を宇佐美さんが介抱してただけだったのだが。
私は意識を今この瞬間に戻すと、隣で運転している彼も何やら真剣な表情で考え込んでいた。
きっと彼も記憶のフックに引っかかったはものの、あまりにも当の記憶が深く深く埋没しているがために、それを探り当てられずにいるのだろう。
そんな考え込んでいる彼の横顔をぼーっと見つめている間に、最初の目的地である神社の駐車場についた。
バック駐車している彼のかっこいい横顔に見惚れていると、一瞬こちらへ振り向いた途端に目が合って、ちらっと微笑まれる。ずるい。たぶん、宇佐美さんのことだから、わかっていてやってる。
彼の目論見どおりどぎまぎした私は急いで目を背ける。
助手席から降りると、境内の方角に向けて歩きつつ、車の鍵を閉めて後ろから追ってくる宇佐美さんを待った。
「街中でもやっぱり寒いね。」
ダウンコートのポケットに手を突っ込みながら速足で私の方まで来た彼と、並ぶようにして境内へと続く砂利道を歩く。
こんなのまるでデートみたいじゃないか。
「そういえば、さっき車内で僕が言ったことだけど、あれって前にも言ったことなかったっけ?」
「…いえ、ないと思います。」
「ふーん。まぁ、出会ったばっかだし、そりゃそっか。」
思い出せなくても、彼にも同じ記憶が残っているのかなぁ…。
私はそれがとてつもなく嬉しく感じて、いえ、本当はあります。ずっと前に、と言いたい気持ちをぐっと堪える。
でも、どうなんだろう。
彼も結構引っかかっているみたいだし、この際少しくらい話してみちゃう…?
そう思い、私が「あのっ、」と口を開いた瞬間——、
「あー!カップルが歩いてるぞ!」
「本当だ! 邪魔するなよ、たかし!」
視線を横にそらせると、境内の手前にある公園から、ちびっ子たちが私たちを指さしてきゃあきゃあとはしゃいでいるのが見える。
それに気まずい思いをしてそっと彼の顔を見ると、苦笑している彼と目が合い、思わず吹き出してしまう私たち。
———まぁ、今が良ければそれでいっか。
無理に思い出してもらおうとして、変人と思われるのだけは避けたい。
宇佐美さんと一緒に境内に入って、お賽銭を投げてお参りをする。
(宇佐美さんと少しでも長く一緒にいられますように…。)
そう願わずにはいられなかった。
私は横で静かに手を合わせている宇佐美さんの横顔を横目で薄くチラ見する。
宇佐美さんはいったいどんなお願い事をしているんだろうか。
彼も同じことを思っていてくれるなら、それ以上に幸せなことはない。
車に戻ろうかと、身体を翻すと境内の横に生えている大きくて立派な杉の木が目に入る。
立て看板にはご神木と書かれており、説明書きにはなんでも明治18年の建立以来、ずっと植えられているとある。
「ふーん、100年以上も昔から同じ木が同じ場所にあるのなんて、なんか不思議だね。当時生きていた人はもうとっくにいないけど、木はここにあり続けるんだ。」
私の横に立った宇佐美さんが、説明書きを読みながらそっと言う。
明治18年からあるのなら、私も当時この木を見たことがあるのだろうか。そして、彼も見たことはあるのだろうか。
太い幹を見つめながら思いを馳せる。
彼も物思いに耽る顔で、大きな木を見上げていた。
ねぇ、宇佐美さん。私たちも不思議ですよね。100年以上も前に離れ離れになってしまったのに、また巡り巡って今貴方とこの旭川の地を踏んでいるんだから——。
次の記念館に向かうため、神社から車を出す。
記念館は神社から目と鼻の先の距離で、1分もしない間に着いた。
この記念館は宇佐美さんが所属していた陸軍第七師団の兵舎があった跡地にできており、当時の品々を展示している。
宇佐美さんが見たら何か思い出すだろうか。
わずかな期待を胸に、記念館の外周を回って外の展示物を眺めた後、館内の2階にある展示スペースを2人で回る。
当時宇佐美さんが着ていた軍服や、彼が持っていた三十八年式拳銃などがあって、私は過去をなつかしんだ。
一方の宇佐美さんは、一応私に付き合って一緒に回ってはくれているものの、あまり展示物には興味がないようで明後日の方角を見ている。
記念館に行って、前世の記憶を思い出そう作戦は失敗。どうやら私の期待外れだったようだ。
記念館を出ると、既に13時を回っており、腹ぺこの私たちは一旦宇佐美さんの運転で旭川駅前にある宇佐美さんおすすめのレストランへ連れて行ってもらった。
「ほら、どうぞ。」とレストランのドアを開けて待ってくれる宇佐美さんは、端から見たら素敵な彼氏だと思われていてもおかしくないだろう。
店の奥から出てきた店員さんに、2人です、と宇佐美さんが言うと、私たちは奥のソファー席に案内された。
「ここジンギスカンがおいしいんだよね。」
テーブルの端に立てかけてあるメニューを宇佐美さんが手に取り、開いて私に差し出してくれる。
私はメニューを受け取りつつも、彼のおすすめしてくれるものを食べたいと思い、「じゃあ、ジンギスカンにしよっかな。」とメニューを眺めながら言う。
「結構臭いつくけどね。」
宇佐美さんはそう笑うと、店員さんに声をかけてジンギスカンセットを2つ頼んだ。
しばらくすると、店員さんによって目の前に鉄鍋をひっくり返したような形の鉄板が置かれる。
こんな形でどうやって焼くのだろうか…。
不思議そうに見つめる私に、宇佐美さんが焼き方を教えてくれる。
「まずはこの鉄板を裏返して。鍋みたいにして焼くのがジンギスカンだから。」
なるほど?どうりでおかしいと思った、と私は納得して、テーブルの上の鉄板をひっくり返そうとする。
そんな私の手を、突然なぜか吹き出した彼が、片手で制する。
「ちょ、本当にやると思わなかった。うそうそ。これはこういう形の鉄板で、下で野菜を焼いて、上の丸いところで肉を焼くんだよ。」
はーおかしい!と目に涙を浮かべて、目の前でせせら笑っている彼にまんまと一杯食わされた私は「笑いすぎです!」と彼をいさめる。
「ごめんごめん。ほら、最初はお手本として僕が焼いてあげるから。」
彼は器用にテーブルの向こう側からトングで私のお皿の上にある野菜を掴むと鉄板の下に載せ、続いてお肉も上の丸いドーム型のところへ載せた。
お肉や野菜が焼けると「ほら、」と私の小皿に載せてくれる。
彼との食事なんていったい百何年ぶりだろうか。
「っていうか、ナマエは彼氏とかいるの?」
「? 今はいないです。」
「まぁ、いたらさすがに冬の北海道に1人で来ようとするなんて無茶、普通は止めるよね。なんなら一緒に来て、動物園行ったりすればいいしさ。」
「宇佐美さんも動物に興味あるんですか?」
少なくとも前世の宇佐美さんは、鶴見中尉以外の生き物にあまり関心がなかったはずだ。
「僕のことをなんだと思ってるわけ? 一応、観光地として行ったことくらいあるよ。」
心外だな、と言いながら、宇佐美さんは旭山動物園の話をする。
相変わらず彼と一緒にする食事は美味しくて楽しい。
私は彼とこうしてまた出会えて、ご飯を一緒に食べれることに幸せを感じるとともに、もうすぐ来る旅の終わりを感じて少し寂しい気持ちになった———。
ご飯を終えた私たちは再度車に乗り込むと、市内の外れにある美術館へと向かう。
ご飯をゆっくり食べすぎたのと、土地柄冬の日の入りが早いせいで、既に日は傾き始めて強い西日が車内に差し込む。
なんでも、その美術館は昔、陸軍のパーティーや披露宴などの催し物の会場として使われていた建物だったらしい。
なぜだろうか、美術館に近づくにつれて、私の心は胸騒ぎのようにざわついていた。
駐車場に車を止め、ドアから出ると、すぐ目の前に白い西洋風の建物が見える。
白いと言っても、この時刻の夕陽を浴びた美術館はうっすらオレンジ色に染まっていた。
その上品な佇まいを見て、私は確信めいたものを感じる。
そうだ。
明治時代の街並みとはまるっきり変わっていた旭川市内の街並みとは違って、この建物には確実に見覚えがある。
ドクン、ドクン———、
私はゆっくりと建物へと歩み寄ると、近づくにつれて自分の鼓動が早まっていくのを感じる。
だって、ここは———、
「ここって、僕たちの披露宴が開かれるはずだったところだよね。」
私の後ろを追ってきた彼を振り返った私は、おそらくもうすでに泣きそうな顔をしていることだろう。
「うさ、み、さん…。」
相変わらず黒のダウンコートのポケットに手を入れて寒そうにコートの襟もとに首を埋める彼は、なつかしそうに私の目の前の建物を眺める。
「もし、かして、記憶が…?」
ちゃんと彼と話したいのに、涙が次々と溢れては言葉が詰まってしまい、うまく話せない。
「ごめん、実は神社のあたりから思い出してた。でも、ナマエがどこまで思い出してるかとかわからなかったし、変なこと言って警戒されたくなかったから。」
一応、ナマエは1人旅で来た女の子だからね、と微笑みながら付け加える。
余計な一言を付け加えるのも相変わらず彼らしい。一応、じゃなくてれっきとした女子です、と心で弱々しく突っ込む。
でも、私はそんな彼が大好きだったし、今もこうして気づかないうちに好きになっている。
「——っ!宇佐美さんが私を残して逝っちゃうから、何度も2人で下見に来たのに、結局、披露宴できなかったんですよ。」
ぼろぼろと泣く私の顔はおそらく相当酷いものだが、彼が過去を思い出したのならそんなことはどうでもいい。
言いたかったこと、言い返したかったこと、たくさんある。
でも、当時私が1番言いたくて、でも結局言えなくて、生涯後悔したのは——、
「——大好き、でした。本当に…。貴方の1番が鶴見中尉でも、私にとっての1番は宇佐美さんだけだったから…。」
「…うん、知ってる。」
優しく言った彼は、大泣きしている私の腕を引き寄せて、その大きな胸に私の顔を埋めさせた。
あたたかい彼の腕の中で、さらに私は声をあげて泣く。
「僕が死んだあとちゃんとご飯食べれた?ちゃんと寝れた?」
「そんなの! しばらく、できるわけないじゃないですか…」
「結婚はしたの?」
「父の勧めで、一応…」
「良かった。ナマエがずっと1人だったわけじゃないなら。」
見上げると満足そうに微笑む宇佐美さんがいた。
私の身体は彼の細く見えるわりに力強い腕できつくぎゅっと抱きしめられている。
もう離さない、というように感じるのは、自意識過剰だろうか。
「これでも僕もさ、死ぬ間際、ナマエのことがふと頭に浮かんだんだ。1人で大丈夫かなって。でも、ナマエなら大丈夫かってすぐに安心した。変なところずぶといし。」
「ず、ずぶといって…!」
「1番じゃないけど、それでも、僕とって大事な人だったんだ。」
静かに、でもはっきりと彼にそんなことを言われてしまうと、もう何も言えないじゃないか。
黙った私に優しく彼は言う。
「あーあ。結局、今世でも君と結ばれるのか。」
「嫌なら別に結んでもらわなくたっていいです…。」
「そういういじっぱりなところも変わらないなぁ。——でも、」
一瞬彼の言葉が止まったので、私は「?」という顔で上を見上げる。
「今度は僕の1番にしてあげても良いよ。」
そう言った彼は、優しく私の唇に自分のそれを重ねる。
むかし、むかし、貴方と見る幸せを諦めたその場所で、前世から続く途方もない寂しさを埋めるように、優しく、何度も。
END
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